こんにちはマカベェです。
私は研究者をやっていますが、論文を出してなんぼです。
「Publish or perish」という言葉があります。
「論文を出すか、死か」
まあ極論するとそういう世界です。
だんだん状況はひどくなっています。
上の図のように、今は「論文を出すか死か」からよりエクストリームになって、「論文をハイインパクトなジャーナルに出し続ければ、たぶん死なない」みたいになっています。
論文を出す時は、まず、ここなら通るかなという雑誌にオンラインで送ります。
その後、まずEditorがその論文を判断します。
もしEditorが価値ありと判断しなければ、その時点で不合格です。
価値ありと判断すれば、更に詳しいその分野の研究者に審査に回します。
通常2-4人の審査員が、時に重箱の隅をつつくような粗探しをしながら詳細な審査を行います。
その後、論文を出した研究者に、それぞれの審査員の意見が書かれた審査結果が返ってきます。
そしたら、その審査結果に反論したり対応する実験結果を追加して、再度原稿を雑誌に送ります。
再度審査が行われ、審査員が納得すれば合格して、論文が雑誌にのります。
審査員が納得しなければ不合格となり、違う雑誌にトライすることになります。
こういうことをえんえんと繰り返しながら、論文を出し続けるわけです。
もう叩かれ続けるわけです。
さながらこのような感じです。
ハートが強くないとやってられません。
ただ、専門家である審査員に建設的な意見をもらえるのは、有益なことでもあります。
辛辣な言葉だけではなく、励まされることもあります。
問題はその前段階の、Editorです。
雑誌のEditorは必ずしも全ての分野に明るいというわけではないです。
論文をReviewに回すかどうかは、主観が入る部分も大きい。
この研究室は有名だから大丈夫だろう。
この人のことは良く知っている、Reviewにまわしてみよう。
私なんかはEditorで落とされると、自分の研究の質と量は棚に上げて、自分の研究室が弱小だから落としやがったな、きい!となります。
所詮人間がやることですから、完全な審査というのは存在しません。
先入観にも負けない確固とした研究者としての地位を、そしてもっといい研究をしなければいけません。
先入観と言えば、以下の表は何だと思いますか?
国民体育大会剣道競技のウィキペディアに載っている表です。
国体での剣道は、ほとんど開催県が優勝している!?
こんなことが許されるのか?
先入観ともう言えないぐらい、度が過ぎている。。。
人間の世界は不条理で、だから面白いとも言えますが、当事者になったらたまったものではありません。
でも、そもそも平等なんかない世の中で、それでも腐らず希望をもって生きていくしかないのでしょう。
応援よろしくお願いします。