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[まじ感謝] イチローの引退会見が人生の示唆に富みすぎる。英雄の引退語録とおもひでぽろぽろ。

投稿日:2019-03-24 更新日:

 

こんにちはマカベェです。

一人の英雄が引退を発表しましたね。

イチローです。

 

 

日本で9年。アメリカで19年。

打ちに打った3089本のヒットの美しい軌跡。

 

 

イチローだけ最近という、時代を超えた圧倒的活躍。

 

 

イチローが渡米してMLBに挑戦する際、某掲示板ではどういわれていたか、ちょっと抜き出してみました。

投稿日: 2000/10/13(金) 06:23
7年連続首位打者は途切れるし、2000本も不可能っぽいよね。もったいないかも・・・

投稿日: 2000/11/11(土) 07:03
首位打者なんぞ取れるわけねー   良くて3割。

投稿日: 2000/11/11(土) 07:12
イチローがマリナーズのキャンプに参加したときコーチからもっとも酷評されていたのが守備。次にバッティングのパワー不足。

投稿日:2000/10/12(木) 16:27
メジャーの守備力を考えると内野安打が相当減るだろうから2割8分打てれば良し

投稿日: 2000/11/11(土) 06:58
いずれにしても首位打者なんぞ夢のまた夢。MLBで首位打者とってきた選手の体見たことある?みんなえらいごっつい体。 首位打者8回のトニー・グウィンだってそう。パワー不足も首位打者をとるには大きな壁になる

投稿日: 2000/11/14(火) 09:57
イチローはレギュラーを取れるか??に変更すべきかな。だんだん不安になってきた

投稿日:2000/10/12(木) 18:34
日本とメジャーとでは要求されるレベルが桁違いです。イチロークラスの守備力でようやくメジャー標準クラスです。

 

結果、メジャーではこの通り。

新人王(2001年)
年間MVP:1回(2001年)
首位打者:2回(2001年、2004年)
盗塁王:1回(2001年)
シルバースラッガー賞:3回(2001年、2007年、2009年)
ゴールドグラブ賞:10回(2001年 - 2010年)

 

今となっては当たり前の大活躍も、決して予想されたものではなく、イチローの挑戦の結果ということがよくわかります。

先日の引退会見をフルで2回見ました。

 

 

語録をまとめてみました。

「もっとできたことはある。他人より頑張ったということはとても言えない。ただ自分なりに頑張ってきた」

「子供達には自分が熱中できるものを早く見つけてほしい。見つけられれば出てくる壁も乗り越えられる」

「色んな記録に挑戦してそれを破るのに注力したが、今思うとそのことは小さなことに過ぎず、難しい状況を乗り越えて今日の引退の素晴らしい舞台に立てたことが素晴らしかったし、どの記録よりも誇りだ」

「ある段階までは自分のためにプレーすることが皆に喜んでもらえることだと思っていて注力していたが、ニューヨークに行ったあたりから、人に喜んでもらえることが本当にプレーする意義と思うようになった。ファンに感謝」

「貫いたことは、野球を愛したこと」

「プロ生活の中で肩の力が抜けることは無かった」

「明日からもトレーニングはする」

「一気に進もうとしてもそれはギャップがありすぎて無理だ。地道にやるしかない。後退しかしない時期もある。遠回りすることでしか自分の道は見つからない」

「人望が無いから監督はできない。それぐらいの判断能力はある」

「特にニューヨークに行って以降は、首になるんじゃないかと毎日思っていた。首になる時は引退だろうと思っていた」

「アメリカの厳しさも温かさも知った。それぞれの場所の特徴が違って、それぞれで関係性が築けた。アメリカは広い」

「自分はアメリカで3089本のヒットを打ったが、妻は2800個のおにぎりを作ってくれた。3000個握らせてあげたかった。一番頑張ってくれた。自分はこれからゆっくりするつもりはないけど、妻にはゆっくりしてほしい」

「一弓は今年18歳になって、老犬になったが懸命に生きている。それを見てたら自分も頑張らないとと本当に思う。妻と一弓には感謝の思いしかない」

「アメリカ行きは仰木監督から酒席で了解を取ったことから始まった。仰木監督はまぎれもなく恩人であり、酒の力もその時感じた」

「才能を考えると大谷翔平は世界一の選手にならなければいけない」

「野球の魅力は、団体競技だけど個人競技であるところであり、一度として同じ瞬間が出てこないことである」

「できるから挑戦するのではなく、やりたいから挑戦するんだ。そうしないと達成感もない」

「挑戦の結果、こんなものかなという感じ。勝つのは簡単ではなかった。その感覚を得たのは大きかった」

「アメリカに挑戦して、外国人になったことで、人の痛みをより慮ったりできるようになり、本からの情報では取れない、体験からの経験や感覚は、これからの自分にとってとても大事になると思う」

「つらいことから逃げたいと思うことは当然だが、エネルギーのある若いうちに壁に立ち向かうのが大事だと思う」

 

全てが、イチローの野球人生の言葉というよりは、人生に対する普遍的な言葉だなと思いました。

その言葉がびんびん響く自分は、イチローの存在を誇りに思っていたんだと、改めて思いました。

自分は生イチローを見たのは一度だけしかありませんが、その時のことは強烈に覚えています。

渡米して新しい環境に四苦八苦している時でした。

英語も不慣れで疎外感もあり、仕事も勝手が違って思うように成果が出ない時でした。

当時まだ子供はおらず、我々夫婦はかなりの出不精だったのですが、友人夫婦が誘ってくれたこともあって、車で三時間もかかるボルチモアまでイチローを見に行きました。

マリナーズとオリオールズの試合でした。

内野の席でしたが、そんなに大きくは見えず、イチローの打席の時はよく見える近くまで見に行きました。

当時既にイチローは、メジャーでも安打製造機として定着していて、ヒットを打つのが当たり前みたいな雰囲気すらありました。

少なくとも自分はニュース等でそう思っていました。

なのでどこかで、簡単に打っているんだろうと思っていました。

実際に見たのは、四苦八苦する(しているように見える)姿でした。

何とかして塁にでようとしている姿でした。

頻繁にバントの構えをして、投手を何とかすこしでも惑わせようとしていました。

実際セーフティバントを試みて、あえなくアウトになっていました。

内野安打の時は懸命に走っていました。

その試合では全てアウトになってしまいました。

外野に打球は飛びませんでした。

結局ヒットを見ることはできませんでしたが、ある意味での泥臭さに、感動しました。

あのイチローが何とかしてもがいていて、多くの場合は思い通りにいかない。

何物でもない、アメリカ生活も仕事上でもただのビギナーの自分が、たいして泥臭い努力も無しに、まだたいした積み重ねも無しに、何か成し遂げられるわけがないではないか。

なーんだ、そういうことか、自分の今の悩みは当たり前であり、もっともっとやってやるぞとパワーをもらったのでした。

それから13年。

思い通りにいかないことは相変わらず多いですが、何とかやれています。

異国に住んでいると特に、異国で腕一本で頑張る日本人のスポーツ選手の存在は心の支えになり、誇りになります。

メジャーでは、自分の地元のチームには、井口選手や田口選手が一時在籍していて、実際に球場で見ることで、パワーをもらいました。

双方とも素晴らしい活躍をして、優勝パレードも見に行きました。

まーくんはまだ直に見たことはありませんが、松井選手にも黒田選手にもパワーをもらいました。

イチロー選手、本当にお疲れさまでした。

 

 

 

本当にありがとうございました。

 

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